何気に便利と思っているブログの予約投稿やTwitterなどの自動投稿など。
自分がその時に操作しなくても勝手に投稿してくれるので便利であると思っていた。

しかし、死後のメールやソーシャルメディアのアカウントの話題が出てから最近では特にこちらのことの方が気になっている。



自動投稿の裏側には自分が操作しなくても動く、もっと極端にいえば自分がコントロールできない状況でも、投稿されてしまう側面がある。

例えば自分が大きなミスをしてクライアントのところへ行ってる時ものんきに呟いているのを誰かに見られるかもしれない。
土下座して謝っているのにTwitterアカウントでは「おやつの時間だよ!」とbotで呟いているかもしれない。

それぐらいであればまだよいかもしれない。
自分がもし死んでしまったらどうだろう。

呑気に「よるほー」とか毎日のように呟いているかもしれない。
また、過去のブログ記事をどんどんTwitterに呟いているだろうか。

そして、来週まで書き溜めたブログも、すでに自分はこの世にいないのにあたかもいるかのように投稿される。

リアルでは死んでいてもネット上ではずっと行き続けていることになる。
ネット上では生きているものとして反応もされるかもしれない。

もしかしたら生死を問わず本人不在の炎上とかも起こっているかもしれない。

自分のリアルタイムの意思のコントロールの及ばない時に自動投稿や予約投稿が意図に反して投稿しているかもしれない。

そのうち、となりのおばあちゃんのTwitter毎日つぶやいていたけど、実はだいぶ前に行方不明になってたとかそのせいで気づかないなんてこともあり得るかもしれない。

気にしすぎかもしれないが、便利の反面それが良いのか少し気になってきた。

そしてもっと気にすることは、そんなことに頼るよりも、本当のリアルタイムを追求した方が、ソーシャルメディアは楽しめるんじゃないかと。

自動だとか予約はラクかもしれないけど、見てる人に、本当はそれは伝わっていないかも。その時だからこそ伝わるパッションのほうが大切だと考えている。

だから、いまの予約投稿だとか自動投稿が本当に良いのか考えて見たいと思う。
いや、使い方を、変える、という落とし所になりそうな気もしている。

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