貧困家庭でしたし、今もある意味貧困です

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写真は全く関係ないですが、先日営業で通りかかった日テレの前にあったバス。年末にらこの番組が楽しみです。

さて、先日貧困家庭の女子高生がテレビに出ていた番組がありましたね。まあ、いろいろあると思うのですが僕も貧困家庭の経験があるので紹介。


父親が銀行マンでマンションも買い、順風満帆な少年時代かと思ったら、急にそれはやってきたんですね。

いろいろ事情あり母子家庭になりました。

特に仕事についていたわけでもない母親と妹2人。

急に育ち盛りの子供3人育てなければならないって当時はわからなかったけどどれだけ大変なことか。

まずは親戚の家に引き取られ、お古の制服で小学校に通い、穴が空いた制服を笑われる、恥ずかしい毎日。

親戚の家でやっていた新聞配達と牛乳配達を手伝い、何度雪の中でこのまま辞めたいと思ったことか。

中学に進級すると同時に家賃2万円の町営住宅に母親と子供3人でうつりようやく独立。

ボットン便所だが十分な広さの部屋。

母親はパートで月給15万円前後の収入。

おそらく給食も高校の授業料も減免してもらう状態。

ワガママを言って中学時代に進研ゼミをやらせてもらい、隅から隅まで三回繰り返してやる、というのをやった。チラシの裏、半紙などに細かい字で答えを書き何度も繰り返しやっていった。

そのおかげで成績は学年トップだった。

高校に出てからは奨学金は参考書を買ったり趣味のために使うお小遣いがわりになった。

高校はバイト禁止だった上に部活をはさせてもらった。

それで生活は成り立つわけはない。

ギリギリというか赤字だったんだ。と思う。

保険を解約しつつお金を作っていた。

妹は夜間の高校や短大に進学した。

僕は夜間の大学に進学した。敷金礼金の世話もしてもらって一人暮らしを始めた。冷静にかんがえればこのお金もどこから出てきたんだろう。

あとで聞くことになるのはサラ金でした。

昼間のバイトをして仕送りなしでなんとか自立した。

ワガママを言ってしまったこともある。

ただもう自立しなきゃいけないけど夢は諦められないとバイトしながら昼間の大学に行きたくて仮面浪人した。

結果は散々だったが、滑り止めで受けていた国家公務員になる。でも体調崩して2カ月で退職。

納豆ご飯ばっかり食べる毎日。食費月三万円以下にする努力はするが、栄養なんて考えられない。いかにお腹を満たすかしかなかった。

実家に強制送還され再度親の世話になることに。情けない。

もう一度就職からやり直した。

地元のスーパーに中途で入社した。

初任給15万円。寮に入り、仕事をした。貯金もそんなにたまらないが少しずつ余裕が出てきた。

大学は出ることはなかった。

高卒という学歴を背負いながら、働きながらインターネットを勉強し、転職を繰り返していった。

引っ越しやブラック企業の未払いや病気やいろんなことが重なりお金はちっともたまらず、中年になった。

ある程度、人並みの収入になったかもしれないが、これまでの蓄積、つまり貯金も貯められていない現実もあり、まだ貧困からは脱してないかもしれない。

起業してもうまくいかず大きな借金をすることになったり、返済しても特別儲かるってるわけでもなく。

まだ苦しみもがいている最中だ。

貧困から逆転することは難しいかもしれない。それは事実かもしれない。

たけど母親が生きているうちに、カタチにはしたい。

それが今の目標。

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この記事を書いた人

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2006年よりブログを書き始め、現在はちょっとした効率化をテーマとしてブログを投稿中。

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