ドビュッシーからボクは“自由でありたい”ということを学んでいたのか

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ドビュッシー

今朝iTunesを起動してハッとさせられた。

「あらゆる形式から自由でありたいと終生願い続けた・・・」

自由でありたい・・・

もしかしたら、ボクはドビュッシーの音楽からそれを感じていたのだろうか。

18才のときに買ったクラシックのCD。
MD(MiniDisc)に録音して入れていたこの曲。何度も何度もカセットテープがすり減るかのように聞いていた(ディスクなので擦り減らないけど)。

高校を卒業してひとりの社会人として、何度も移動の電車の車窓を眺めながら聞いたのが、ドビュッシーの月の光。

当時は自分が演奏した経験のある曲が好きとか吹奏楽でこの曲が好きとかあったけど、なぜか、そのどちらにも当てはまらなかったのが、ドビュッシーの月の光。

電車の中でも、ドビュッシーの世界に引き込まれた気がした。

当時聞いていたのはオーケストラ版だと思う。これがピアノ曲だと知ったのは少し後のことでした。

音楽の旋律から、これだけの何か心を動かして感じさせてくれるパワーを感じていました。それが何かには気づかなかったのですが、どうやら、音楽の流れから意外性などから、ワクワクするものと、ジーンとするものを感じていたのだと思う。

それが自由でありたい、というものだったのかもしれない。
20年以上の時を経て、それを感じさせてくれた。

人生の岐路に立つ、高校卒業して社会人への入り口に立つその瞬間。
ボクは“自由でありたい”という言葉から、人生をよりワクワクとさせるものにすることを学んだのかもしれない。

iTunesミュージックでもなんでもいいのでドビュッシーの月の光だけでなく、いろいろな曲を聴いてもらううちに、何か感じるものがあれば。

この記事を書いた人

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2006年よりブログを書き始め、現在はちょっとした効率化をテーマとしてブログを投稿中。

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